


経済状況
危機的状況の拡大
3番目の「経済状況」は、今、実際どんな状況かというと、ソ連との関係を縮小したがために苦しんでいる
ということである。それまで依存してきたCOMECONの枠組みが崩れてしまった。それまでCOMECON
の国際分業という枠組みの中で、モンゴルは畜産品、地下資源を提供する。そのかわり石油はソ連から
もらう、鉄はどこからもらう、農業技術はどこからもらうという分業体制でやっていた。
それが突然COMECONの枠組みがなくなったものだから、モンゴルはくぎ1本、紙1枚、自分の国でつく
れない国として残ってしまったわけである。それが危機の最大の原因だったのだろうと思う。これまで世界
からの援助の90%をソ連が占め、それがGDPの30%を賄っていた。貿易も、80%前後がソ連とのもので
あった。それが急速に縮小したのである。工場の大半もソ連が建て、設備もソ連が設置した。
結局、ソ連製の部品一つが来ないことで工場がストップするという状況に立ち至ってたのである。こうして
モンゴルは急速な危機的状況に陥っていったのである。
その下に「流通システムの崩壊」とあるが、それまでは社会主義の中で採算を度外視した形で、あの広い
国土の中で地方の末端にまでそれなりに物が行き来していた。それが、今度は経済効率を優先するわけ
で、例えば新聞1枚も地方には届かなくなるという状況になった。地方では家畜がどんどん増えている。
家畜は簡単に増えるから、増え過ぎて困るぐらい今は増えている。その家畜の肉はあるけれども、乳も
しぼったけれど、その調達にだれも来てくれない。あまりにもガソリンが高い、交通費が高いから採算が
合わないというようなことで、流通が途絶え気味となり遊牧社会の困難が始まっていった。
急激な市場経済移行下のあらゆる国で起こっているような問題が多く出てきている。インフレは、物が
ないところで自由化するわけだから当然のことである。それから、失業が増大し、貧富の差が拡大する。
遊牧民の世界においては家畜を持たない牧畜民が生まれて、力のある者は家畜を多く持って、使用人
として牧畜民を雇うということがどんどん増えてきている。それから、都市部から離れていると、毛皮が
あっても、乳をしぼっても、なかなか売れない、現金化されないということで、人々が都市の周辺部に移住
を始めている。例えばウランバートルの周辺あたりはそれが1つの大きな問題になったりしている。
農業と違って、家畜さえ持っていれば自由に移動ができてしまう。 500キロメートル、 1,000キロメートル
はどうということもない。その移住が今、大きな社会問題になっているということがある。
それから、教育の混乱、犯罪の増加というようなことが起こってきている。今は随分おさまってきたが、
一時は前年比で40%ぐらいずつ犯罪が増加していくということが起こった。
マクロ経済面で若干好転の兆し
1991年8月に、当時の海部総理が西側の首脳として初めてモンゴルへ行って、危機的な状況のモンゴル
に対して支援をしましょうということになった。その前に開催されたロンドン・サミットで世界にモンゴル支援
を呼びかけるわけだが、そこから支援国会合が立ち上げられて、去年6月に第7回まで来ている。
そういった国際機関の支援等々があって、資料の4番目に「主要統計」を挙げておいたが、GDP成長率
は、マクロで見れば94年ぐらいを境にプラス成長に転換してきている。そのほか、失業率、インフレ等々も
今は相当部分おさまってきているといういい方向に向っているということである。この支援国会合がGDP
の約30%を支えているような形で、支援国会合に支えられた経済という感じである。
引き続き抱える諸問題
(3)に「引き続き抱える諸問題」を挙げている。いろいろな問題を抱え込みながら、マクロの面で多少安定
はしてきたけれども、まだそれを本当の回復基調に乗せるような力にはなっていないし、時間がかかる
という状況である。インフラが整備されていない。それから、統計のほうにも挙げてあるが、財政赤字の
問題がある。ともかく徴税システムがきちっとしていない。税金を集めたことが今までないので、今、一生
懸命その勉強をしている。今、3万 5,000ぐらいの企業があるということに一応なっているが、そのうちの
8割ぐらいが10人以下の小規模の企業体で、2割ぐらいがそれなりの企業として成り立っている。
今は株式市場もあって、上場企業が 400幾つあるが、その中で税金を払っている企業が 100ぐらいだと
いうことになっている。そういう状況だから、なかなか収入もない。
もう一つ、4番目に「特定鉱物資源、畜産品に頼る輸出、財政収入」と挙げておいた。モンゴルの輸出
あるいは財政を支えているものは銅である。最初ソ連がつくった銅鉱山だが、銅、モリブデン、それから、
今盛んに増産している金、そのほか鉱物資源は螢石とか亜鉛とか、いろいろある。
それから、今は石油開発も進められている。アメリカ、カナダ、イギリスあたりの企業が入って、原油の形
で中国に少しづつ輸出を始めてもいる。まだ微々たるものである。それから、カシミヤが輸出の大体12%
を占めている。この地下資源の幾つかとカシミヤとで輸出の相当部分を占め、かつ財政を支えていると
いうことである。ただ、銅にしても金にしてもカシミヤにしても、国際価格の変動が非常に激しいものだと
言われるが、特にこの2、3年はこれらの価格が下がっているので、財政困難に拍車をかけているという
ことのようである。
5番目に、産業育成政策のきちんとしたものがなく、経営管理ノウハウも全くと言っていいほどない。
10人以下の企業体が8割を占め、またそのうちのまた8割ぐらいが5人以下の企業だということで、
そういった小規模企業をこれからどう育てていくかというのが大きな問題である。大変なことだと思う。
それから、外資受け入れ環境が整っていない。
それから、金融の不安定がいかんともしがたい。今年になってから、もう銀行が2つつぶれた。去年も
銀行問題で内閣が1つつぶれた。ともかく銀行貸付の全体の70%ぐらいが不良債権ではないかと言われ
るぐらいの状況である。金融政策も、IMFなどからの要請もあって、それにこたえようとする。IMFなどの
言い分をよく聞く非常にまじめな国だから、その言い分を一生懸命聞こうとして、そのジレンマの中で混乱
をきたしている面もある。
民主主義・市場経済化で変革を遂げたモンゴルの投資環境
モンゴルといえば、多くの人は「草原」「遊牧民」といった牧歌的な風景や、モンゴル人力士の活躍から
「相撲」をまず思い浮かべるだろう。確かに、モンゴルには現在田舎のほうではこうした伝統的な要素は
色濃く残っているが、1990年代からの市場経済化の進展や、先進各国や国際機関からの経済援助など
により、社会・経済ともに大きく変容してきている。こうした変化をチャンスと捉え、モンゴル経済への興味
が高まっている中小企業経営者もいるだろう。
そこで今回は、モンゴルへの渡航経験も多く、同国ビジネスの実情に詳しい星野達哉国際化支援アドバ
イザーに、モンゴル経済の現状と、中小企業の投資の可能性についてうかがった。
市場経済化の混乱が収束
東西冷戦時代は、ソ連(当時)の衛星国として社会主義体制にあったモンゴルだが、1990年にソ連・東欧
の民主化運動の影響を受け人民革命党が一党独裁を放棄、1992年にモンゴル人民共和国からモンゴル
国へと改称してからは、完全に社会主義と決別し民主主義・市場経済化に向けて舵を大きく転換してい
る。それから14年を経た現在、モンゴル経済は成長軌道に乗りつつある。
「市場経済へ転換した際、モンゴル政府は国民に無償で土地を与えたり、外貨を完全自由化するなど、
ドラスティックな政策をとりました。その弊害から、 1990年代は『混乱の10年』と言われるほどに、政治・
経済・社会的に混迷を極めました。
しかし、2000年代に入ってからは、こうした状態もかなり落ち着いてきています。2004年の実質GDP成長
率も10.6%と2ケタ成長となり、2005年も同程度の成長が見込まれています」。
「政治体制としては、社会主義時代から続く人民革命党と民主党の2大政党に加え、少数政党が数党
存在します。人民革命と民主の両政党は政策的に大きな差はなく、『民主主義と経済発展に注力する』と
いう点で共通しています。また、政治家達は30~50代が主流と若く、『政争よりも、具体的なアクション
を起こそう』という現実的な考え方を持っている若手政治家が多くいます。この若手政治家は、現行の
ロシア~ウランバートル~中国の鉄道路線から若干ルートを変えた『第2鉄道』の整備と、遊牧生活から
定住化を促進するウランバートル近郊での4万戸のマンション建設が当面の2大政策課題としています」
モンゴル経済は、1990年に民主主義・市場経済に移行した当初は混乱したものの、近年は10%を超える
成長率を記録している。政府も外資誘導による経済発展を志向している。
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| 銀行名 | TEL番号 | FAX番号 |
| EREL BANK | 344550, 7012 2222 | 343387 |
| SAVING BANK | 327329 | 327329 |
| TRADE AND DEVELOPMENT BANK | 312362, 326289 , 311768 , 327029 | 325449 |
| MONGOLIA POST BANK | 310103, 311270 | 328501 |
| MONGOLIA BANK | 310413, 328299 | 311471 |
| ANOD BANK | 315315, 464114 | 315431 |
| GOLOMT BANK | 311530 | 311530 |
| ZOOS BANK | 312107 | 329 537 |
| CAPITAL BANK | 312531, 312539 , 315500 | 310833 |
| CAPITRON BANK | 328373 | 328372
|
| CREDIT BANK | 319038 | 310853, 328405 |
| ULAANBAATAR BANK | 319 517, 319041 , 320527 | 330508, 311067 |
為替レート(2008.03.17、月曜日)
US dollar USD 1.172.40
Euro EUR 1.826.78
Japanese yen JPY 11.72
British pound GBP 2.384.19
Russian ruble RUB 49.53
Chinese yuan CNY 165.17
通貨
通貨はトゥグルグです.紙幣には10, 20, 50, 100, 500, 1000, 5000, 10000, 20000があります。
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政治状況
史上初の民主連合政権誕生
4番目の「政治状況」だが、極めて不安定な状況が現在続いている。96年に初めて人民革命党以外の
政党が政権をつくった。「史上初の民主連合政権誕生」と挙げておいたが、ともかく若者たちが政権を
担ったのである。そのときの議員の平均年齢は37歳だった。閣僚の平均年齢は42歳ということであった。
若さゆえに、非常に大胆ではあるが危なっかしさもいなめない。
例えばその次に「大行革断行」とあるが、規制撤廃がすぐ始まった。輸出入の関税を即完全撤廃すると
いうようなことをする。完全撤廃だから、カシミヤなどが原料のままどんどん中国に流れていく。
特にウランバートルから離れた国境地帯のカシミヤなどは、わざわざウランバートルまで運ぶよりも、
中国から商人がやってきてくれる。それに渡したほうが高く売れる。だから、原毛のままどんどん中国へ
流れてしまう。結局、世界最大のカシミヤ原産国であるモンゴルでカシミヤ工場に原毛がなくて生産が
ストップするという状況を生み出してしまったのである。それを自由化、規制撤廃という枠の中で認めてい
くということをやってしまったり、それから、省庁の統廃合を、13あったものを9つにするのをほとんど国会
の審議もなしに一気にやってしまう。その他細かいことはご報告できないが、大変な断行をやる。
ただし、その断行は、その後のフォローがないということで、混乱をまた深めていく。
自由化を標榜して始まった若者たちの新しい政権ではあるが、基本的な手法を見ていくと、社会主義的
手法を抜け出していないという感じがする。それから、人治主義的なものがやはり横行して、法治主義に
のっとっていない形が今でも続いている。その中で汚職などが大きな問題になっている。
今、国会議員が3人も4人も刑務所に入っているというような状況を生んでいる。
人民革命党派の大統領誕生
4番目の「政治状況」だが、極めて不安定な状況が現在続いている。96年に初めて人民革命党以外の
政党が政権をつくった。「史上初の民主連合政権誕生」と挙げておいたが、ともかく若者たちが政権を
担ったのである。そのときの議員の平均年齢は37歳だった。閣僚の平均年齢は42歳ということであった。
若さゆえに、非常に大胆ではあるが危なっかしさもいなめない。
例えばその次に「大行革断行」とあるが、規制撤廃がすぐ始まった。輸出入の関税を即完全撤廃すると
いうようなことをする。完全撤廃だから、カシミヤなどが原料のままどんどん中国に流れていく。
特にウランバートルから離れた国境地帯のカシミヤなどは、わざわざウランバートルまで運ぶよりも、
中国から商人がやってきてくれる。それに渡したほうが高く売れる。だから、原毛のままどんどん中国へ
流れてしまう。結局、世界最大のカシミヤ原産国であるモンゴルでカシミヤ工場に原毛がなくて生産が
ストップするという状況を生み出してしまったのである。それを自由化、規制撤廃という枠の中で認めてい
くということをやってしまったり、それから、省庁の統廃合を、13あったものを9つにするのをほとんど国会
の審議もなしに一気にやってしまう。その他細かいことはご報告できないが、大変な断行をやる。
ただし、その断行は、その後のフォローがないということで、混乱をまた深めていく。
自由化を標榜して始まった若者たちの新しい政権ではあるが、基本的な手法を見ていくと、社会主義的
手法を抜け出していないという感じがする。それから、人治主義的なものがやはり横行して、法治主義に
のっとっていない形が今でも続いている。その中で汚職などが大きな問題になっている。
今、国会議員が3人も4人も刑務所に入っているというような状況を生んでいる。
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モンゴルの大統領
モンゴルの大統領はモンゴル国の元首。「国民の統合の象徴」と される象徴的職務である。
【モンゴル国の大統領の主な権限】
■首相の指名。候補者はその後、国民大会議(議会)によって承認または拒否される。
これは概して象徴的な権限であり、実質的には議会が首相を指名する。
■国家大会議の可決した法案の拒否権(3分の2の賛成で覆される)。
■裁判官の任命の承認。
■国家安全保証会議の議長。
■モンゴル国軍の司令官。
大統領は4年ごとに国民による直接選挙で選出される。これには2つの制約がある。候補者は、国民大議
会を代表する政党の一つに推薦されなければいけない。しかしながら、大統領に選出された者は、就任
前に政党の党籍を離脱する必要がある。
モンゴル国の憲法における、大統領となるための要件は
■モンゴル国生まれ
■年齢が45歳以上
■就任前に5年以上モンゴル国に居住
モンゴルの大統領歴史
モンゴルの初代大統領が誰であるかについては論争がある。この称号自体はモンゴルの民主化の前に
は実際には存在しなかったが、 同様の役割を担う官職は社会主義時代にも存在した。ボグド・ハーン政
権のハーン、ジェプツンダンバ・ホトクト八世(Bogd Khan、Jebtsundamba Khutugtu:モンゴルにおける
チベット仏教の長で、宗教的、政治的な指導者。化身ラマ。)が初代「大統領」とされる場合もあるが、一
般的にはそれ以後の非宗教的な指導者に対して用いられる。1924年に臨時元首であった
Balingiin Tserendorjが初代大統領とされる場合もあるが、公式に指導者となったのは1924年11月28日に
人民大会議の議長に指名された Navaandorjiin Jadambaaである。その1日後に、指導権限は人民小会
議幹部会議長に再編成された。その後すぐに、称号の変化に続いて、人民大会議幹部会議長に変更さ
れた。そして1990年「大統領」の称号が採用され現在に至る。
ナンバリーン・エンフバヤル(Nambaryn Enkhbajar)
(モンゴル国14代大統領)任期: 2005年6月24日 からー
【出生】1958年6月1日ウランバートル
【政党】モンゴル人民革命党
ナンバリーン・エンフバヤル (Nambaryn Enkhbajar) は、モンゴル国の政治家。
現モンゴル国大統領。
学位は文学士(ゴーリキー文芸大学)。称号は名誉法学博士(早稲田大学)
ウランバートルの医師の息子として生まれる。
旧ソ連のゴーリキー文芸大学を卒業したあと外国文学翻訳家として多数の文学作品をモンゴルに紹介。
1992年、国民大会議(国会)議員に初当選し政界入り。
文化相、首相、国会議長を歴任したあと、2005年の大統領選挙でモンゴル人民革命党から出馬し、モン
ゴル民主党のエンフサイハン候補を破り当選。モンゴルでは大統領よりも知名度が高いと言われる朝青
龍の支持も取り付け、モンゴル人民革命党の伝統的な支持基盤である地方の牧民だけでなく、都市部で
も満遍なく得票した。
2000年から2004年にかけての首相時代は、ロシアから社会主義時代の債務(モンゴル側は返済不要の
援助と認識していたもの)の棒引き (98%) を勝ち取ったほか、6年間閉鎖されていたウランバートル駐在
の北朝鮮大使館を再開させた。
日本、アメリカとの関係を重視し、日本との交流拡大のために日本人渡航者の査証免除を外交課題に
している。2007年2月28日、早稲田大学より名誉学位が贈呈された。
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サンジャーギーン・バヤル首相(人民革命党党首) (Mr. Sanjaagiin BAYAR)
【氏名】サンジャーギーン・バヤル
【現職】首相(2007年11月22日就任)/人民革命党党首(非議員)(2007年10月-)
【出生】1956年 ウランバートル市出身
【学歴】1978年 旧ソ連・モスクワ大学卒業
【職歴】
1978-1979年 ウランバートル市友好区職員
1979-1983年 モンゴル人民軍参謀本部将校
1983-1988年 モンツァメ通信社記者・編集長 モンゴルプレス編集長
1988-1990年 国家ラジオ・テレビ委員会副総裁
1990-1992年 国家小会議議員 国家組織常任委員会委員長
1992-1997年 国防省付属戦略研究所所長
1997-2001年 大統領府長官(バガバンディ大統領)
2001-2005年 駐ロシア大使
2005-2007月 人民革命党幹事長
2007年10月 人民革命党党首
2007年11月 首相 ページの先頭に戻る
内政
2000年7月、第3回総選挙が行われ、野党人民革命党が4年振に政権を掌握した。新首相には、エンフ
バヤル同党党首が指名された。
2001年5月、大統領選挙が行われ、与党人民革命党の推薦するバガバンディ大統領が再選された。
2004年6月の総選挙の結果、人民革命党と「祖国・民主連合」の大連立内閣として、エルベグドルジ首相
(民主党)率いる内閣が誕生したが、その後、「祖国・民主連合」の内部分裂や民主党の党首更迭、民主
党主流派の院内人民革命党「参加」など政界の流動化が進行。この結果、2006年1月13日、人民革命党
の10大臣全員が一斉に辞表を提出し、エルベグドルジ内閣は総辞職に追い込まれた。なお、この背景に
は、エルベグドルジ首相が米国の後押しを受けて大々的な贈収賄摘発に乗り出そうとしていたことへの人
民革命党側の深刻な警戒感があったとの見方も強い。
2006年1月、これを受け、最大議席を有する人民革命党はエンフボルド人民革命党党首(前ウランバート
ル市長)を首相候補に擁立し、1月25日、同党首が首相に就任した。
人民革命党は国家大会議の全76議席中38議席を有しているものの、依然として過半数には足りず単独
政権は樹立できないため同党を中心とし祖国党・共和党・国民党から数名を加えた新連立内閣が1月28
日に成立した。なお、エンフボルド政権には参加しないとした民主党主流派の決定に反して入閣したエン
フサイハン元首相らは同党から除名され、「国民新党」を結成した。
その後、O.エンフサイハン議員(民主党)の急逝に伴なって2006年9月に行なわれた補欠選挙では、エン
フトゥブシン教育・科学大臣(人民革命党)が圧勝し、人民革命党は単独過半数を確保(76議席中39議
席)することとなった。
2007年1月、グンダライ保健大臣(国民党)は他の閣僚との軋轢や閣内不一致ともなりかねない言動を
繰り返していたため罷免された。また、2月には人民革命党の派閥間抗争に乗じて民主党が仕掛けた政
局の混乱がこじれた結果、オドンチメド社会福祉・労働大臣(人民革命党)が自ら辞表を提出し辞任した。
さらに、独自の言動で首相や役所との対立が深刻化していたジャルガルサイハン産業・通商大臣も、グン
ダライ前大臣が提出した解任決議案の可決により辞任に追い込まれるなど、エンフボルド連立内閣をめ
ぐる政局は混乱した
2007年6月、可決された法律の文言をニャムドルジ議長が独断で修正していた問題をめぐり国家大会議
が紛糾した責任を取り同議長は自ら辞任し、ルンデージャンツァン副議長が議長に選出された。
2007年10月26日、人民革命党の党大会において党首選挙が行われ、エンフボルド党首(首相)はバヤル
幹事長に敗北、11月8日エンフボルド首相は自ら辞任し、同内閣は総辞職した。人民革命党は来年夏に
予定されている総選挙を前に、求心力にかげりの見えたエンフボルド党首(首相)を退任させ、選挙戦に
臨む新体制を設立した。
2007年11月22日、国家大会議本会議においてバヤル人民革命党党 首が首相に任命され、12月13日
までに組閣を終了した。組閣完了までの過程では水面下で各党との折衝が行われ、民主党が連立を
拒否し、祖国党と共和党からの入閣も見送られる一方、国民勇気党が連立に参加するなど、総選挙を
前に新たな政界再編が行われた。
バヤル内閣の党派別内訳は、人民革命党12(首相含む)、国民新党2、国民勇気党2。
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日本・モンゴル関係
【A.政治関係】
日・モンゴル間の交流、協力関係は順調に進展
(1)「総合的パートナーシップ」の構築が共通の外交目標
(2)「友好と協力のための共同声明」(1998年5月バガバンディ大統領訪日)
(3)「共同声明」(2003年12月のバガバンディ大統領訪日)
(4)「共同新聞発表」(2006年3月のエンフボルド首相訪日)
(5)2006年の「大モンゴル建国800周年」に合わせ、2006年を「日本におけるモンゴル年」、2007年を
「モンゴルにおける日本年」とすることで合意。
(6)「共同声明」、「今後10年間の日本・モンゴル基本行動計画」(2007年2月のエンフバヤル大統領訪日)
【B.経済関係】
対モンゴル貿易
貿易額(2006年):輸出 694万米ドル
輸入 1億123万米ドル
主要品目:輸出 繊維原料、銅、繊維製品
輸入 一般機械、乗用車、建設・鉱山用機械、トラック
【我が国からの直接投資】
2008年2月現在、支店開設の日系企業8社、現地法人化した日系企業227社(うち100%投資企業53社、
合弁174社)
【C.在留邦人数】
370名(2007年10月)
【D.在日モンゴル人数】
約3,300名(推計)
【二国間条約・取極】
外交関係樹立(1972年2月24日)
文化交流取極(1974年)
経済協力協定(1977年)カシミア工場建設に対するもの
貿易協定(1990年3月1日)
青年海外協力隊派遣取極(1991年3月26日)
航空協定(1993年11月25日署名)
投資保護協定(2001年2月15日署名)
技術協力協定(2003年12月4日著名
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